2011年1月3日月曜日

凧揚げはもう見られない

 お正月には凧揚げて、駒を廻して遊びましょ~。
小学生だった頃、故郷には、まさにこの光景があった。
今ではこの様な光景に巡り合うことはほとんど無い。
テレビゲーム、携帯メールの時代になってしまった。
 むかしの正月の風景をいくらか知っている。
 凧揚げをしたいと思うなら凧を造る。
 コマを廻したいと思うならコマを造る。
  そこが道具を使った遊びの出発点であった。
 A mandarin orangeみかんを食べながら、餅を焼きながら、ほし芋をかじりながら、・・・
どうすれば空高く舞い上がる凧になるか? どうすればブンブン唸る
凧になるか?見よう見真似でつくり、考え、聞いてみたりして工夫した。
コマを造るには柳の木が良かった。加工しやすく、割れたりしなかった。
 なかなか上手くいくものではなかったが、上手く出来たときは無性に
嬉しい。努力の結果が即、目の前に現れるのだから。
 工作用にはナイフが不可欠だった。折りたたみ式のジャックナイフまがい
をポケットに入れていつも持ち歩いていた。男の子は大抵そんなものだった。
 今、そんな物を持ち歩いていたら、たちまち不良少年のレッテルを貼られ
てしまうに違いない。・・・この表現もちょっと古いが。
 今の子供たちは、鉛筆を削るにもナイフは使わない。そんな発想すら
しないだろう。良い道具が沢山ある。電動鉛筆削り機を初めて見たときは
感動ものであった。必要のない鉛筆までも、その削り機に差し込んで感心
していたものだ。
 なにをするにも今は、実に優れた道具がある。上手くいって当たり前に
なってしまった。凧を揚げても、コマを廻しても既製品で上手くいって当
たり前なので喜びは少ない。努力が要らない分、感動もないのである。

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